満月の夜には手放しを書くといい、と聞いた。 紙とペンを出したところまではよかったのに、そこから先が進まない。
手放したいものが、思いつかない。 というより、思いついたものが「これは手放していいのだろうか」と引っかかって、書けない。
そのまま満月の夜が終わってしまう。 そういう経験をされた方が、ここにたどり着いてくださったのかもしれません。
書けないのは、悩みがないからではありません
手放しという言葉には、二つの意味が混ざっています。
ひとつは、いらないものを捨てるという意味。 もうひとつは、握りしめている手を、少しゆるめるという意味です。
多くの方が書けなくなるのは、前者の意味で読んでしまうからです。 捨てると考えると、途端に選べなくなります。あの人への気持ちも、続けている仕事も、こうあるべきだという思いも、捨てていいものには見えません。
けれど、後者の意味であれば、書けるものはたくさんあります。 握っていることに疲れているもの。持っていたいけれど、いまの持ち方がしんどいもの。 それを書いていいのだと分かると、ペンが進み始めます。
鑑定師としての見立て
先に正直に申し上げておくと、満月に手放しを書くという習わしは、わたしが学んできた帝王学陰陽五行の体系そのものから出てきたものではありません。月の満ち欠けに合わせて心を整えるという営みは、もっと古くから、暮らしの側にあったものです。ですから、ここでは占いの技法としてではなく、暮らしの手当てとしてお話しします。
そのうえで、この習わしにわたしが意味を感じるのは、巡りの考え方と重なるところがあるからです。
宿命鑑定では、人には外に向かって開いていく季節と、内側にこもって整える季節があると考えます。どちらかが良いというものではなく、両方あって一年が回ります。けれど、暮らしの実感としては、開いていく方向ばかりを求められがちです。増やす、伸ばす、続ける、前へ進む。
満月の手放しは、その反対側に置かれた、数少ない仕組みだと思っています。
潮の満ち引きを思い浮かべてみてください。 潮は満ちるときだけが本番で、引くときは休んでいる、というものではありません。引くからこそ次に満ちる。引いた浜辺には、それまで水の下にあったものが見えるようになります。
手放しを書く夜というのは、この「引いたときに見えるもの」を確かめる時間だと考えています。 何を持ちすぎていたのか。どれを、いつの間にか握ったままにしていたのか。満ちているあいだは、水の下で見えなかったものです。
ですから、手放しの中身は、大きな決断でなくてかまいません。 むしろ、この夜に書くのに向いているのは、決断ではなく荷物のほうです。まだ言えていない一言、いつか片づけようと思って何年も持っている思い、自分に課した「こうでなければ」。そういう、外からは見えないものが向いています。
そしてもうひとつ。書いたからといって、翌朝に何かが消えるわけではありません。 書くことの効き目は、消すことではなく、自分が何を握っていたのかを自分で知ることのほうにあります。知らないまま握り続けているものと、知ったうえで持ち続けるものとでは、重さがずいぶん違います。
満月の夜の、書き方の手順
用意するのは、紙とペンだけです。時間は五分から十分で足ります。
- 紙のいちばん上に、今日の日付を書く。それだけで、この紙が特別な一枚になります
- まず、手放したいことではなく、いま重いと感じていることを、思いつくまま並べる。三つでも五つでもかまいません。順番も、体裁も気にしません
- 並べたなかから、ひとつだけ丸をつける。全部を扱おうとすると、たいてい何も動きません
- その丸をつけたものについて、「もう握らなくていい」と書き足してみる。手放しますと言い切れないときは、「少しゆるめます」でかまいません
- 最後に、その荷物を持っていた自分に、一言だけ書く。ご苦労さまでした、でも、よく持ったね、でも。ここを書くかどうかで、読み返したときの気持ちが変わります
- 書いた紙をどうするかを、先に決めておく。しまっておく、破く、次の満月まで置いておく。どれでもかまいませんが、決めずに置くと、ただの散らかった紙になります
うまく書けなくても、書き損じても、まったく問題ありません。 そもそも、うまく書ける人のためにある習わしではありません。
今夜のうちにできる、小さな一歩
- 空を一度だけ見上げる。曇っていて見えなくても、月はそこにあります。見えないものを前提にできるのが、この習わしの良いところです
- 紙が用意できなければ、頭のなかで三つ数えるだけでもかまいません。重いと感じているものを、三つ。それで十分に手放しの入口です
- 書くのは満月の日でなくても大丈夫です。過ぎてしまった方は、次の満月を待たずに、今夜のうちにどうぞ
おわりに
手放すというのは、失うことではありません。 持ち方を変えることです。同じものを、もう少し軽く持ち直せたら、それでこの夜の役目は果たされています。
書けなかった夜も、無駄ではありません。 書けないと気づいたことが、すでにひとつの答えです。
節目の整え方については、厄払いに行かないほうがいいのか——行けない年の考え方にも書いています。
もし気持ちの重さが長く続いて、日々のことが立ち行かないようでしたら、専門の相談窓口も頼ってくださいね。紙とペンで足りないものは、この世にちゃんとあります。