洗濯物を干して、買い物に行って、夕飯の下ごしらえまで済ませた。 やるべきことは、たしかに終わっている。
なのに、午後の家の静けさの中で、ふっと落ちるような感覚がある。 わたしはいったい、何をしているんだろう。
その気持ちを誰かに言おうとして、やめる。 言ったところで、贅沢だと思われるのが分かっているからです。
空っぽに感じることは、恵まれていないという意味ではありません
この虚無感がやっかいなのは、原因になる出来事がないところにあります。
夫婦仲が悪いわけでもない。子どもに問題があるわけでもない。生活に困っているわけでもない。 つらいと言うための材料が、どこにも見当たらない。
だから、しんどさの説明ができません。 説明できないものは、人に伝えられません。伝えられないものは、なかったことになります。
そして、多くの方が最後に自分を責めます。 恵まれているのに満たされないなんて、わたしの心が貧しいのかもしれない、と。
そこだけは、今日は切り離しておきましょう。 満たされないことと、感謝が足りないことは、別のものです。
もうひとつ、この虚無感の正体に近いことを申し上げると、家のなかの仕事には、終わりの合図がありません。 洗濯物は明日も出ます。食事は三時間後にまた考えます。完成した、と言える瞬間が一度も来ない仕事を、何年も続けている。 達成の実感が積み上がらない場所に長くいると、人は自分の輪郭が薄くなっていくように感じます。
鑑定師としての見立て
わたしが学んできた帝王学陰陽五行の見方では、人の巡りには、外に向かって開いていく季節と、内側にこもって整える季節があると考えます。どちらかが良くて、どちらかが悪いというものではありません。両方あって、はじめて一巡りになります。
家庭を支えている時期というのは、この後者の季節にあたることが多いです。
そして、内にこもる季節に共通して起きるのが、外からの手応えが薄くなることです。 評価してくれる人がいない。数字も肩書きも増えない。誰かに認められることで自分を確かめる、というやり方が、この季節には使えなくなります。
だから空っぽに感じる。中身がないのではなく、確かめる手段のほうがないのです。
わたしはこの感覚を、毎日通っている道の運転にたとえて考えることがあります。 慣れた道は、いつのまにか着いています。運転していたはずなのに、途中の記憶がない。それは運転が下手だからではなく、体が覚えてしまっているからです。 けれど人は、覚えていない時間を「生きた時間」として数えられません。だから、あんなに動いていたのに、一日が空白のように感じる。
もうひとつ、大事なことを添えておきます。 宿命鑑定では、人の宿命を三つの柱で捉えます。日柱はその人自身の心、月柱は家系から受け継いだ流れと社会に出たときの面、年柱は仕事や友人との関わりに出やすい面です。
家庭のなかで暮らしていると、この年柱の面を使う場面が、ほとんど出てきません。 使っていない面が眠ったままになると、その分だけ、自分がひとまわり小さくなったように感じます。虚無感の中身には、これがかなり含まれているように思います。
大切なのは、いまの季節が悪いのだから抜け出しましょう、という話ではないところです。 内にこもる季節には、この季節にしかできない蓄えがあります。ただ、使っていない面があるという事実は、覚えておいていいと思います。季節が変わったとき、その面から先に動き出すからです。
同じ生まれの人でも、環境や生き方によって歩む道は変わります。当たり外れではなく、いまはそういう季節のなかにいるのだな、という眺め方をしていただけたらと思います。
今日からできる、小さな一歩
家の外に出る大きな決断は、いまは要りません。使っていない面を、少しだけ動かすところから置いておきます。
- 誰のためでもない十五分を、予定として決めてしまう。空いたらやろうでは永遠に来ません。時間を決めて、家族にも「この時間はわたしの時間」と伝えておきます
- 今日やったことを、声に出して数える。頭のなかで数えると足りない気がしますが、口に出すと意外な量になります。誰も褒めてくれない仕事は、自分で読み上げるしかありません
- 家の外の空気に、五分だけあたる。用事をつくらずに、ただ外に立つ。用のない外出は、この季節にはちゃんと効きます
- 自分の名前で呼ばれる場所を、ひとつ思い出す。昔の職場でも、学生時代でも。誰かの母や妻としてではなく、名前で呼ばれていた時間があったことを確かめるだけで十分です
- 終わりの合図を、自分でつくる。この家事が終わったら今日はおしまい、と決めて、それ以降は手をつけない。区切りのない仕事には、区切りを自分で入れるしかありません
ひとつだけで十分です。何もできない日があっても、後退ではありません。
おわりに
空っぽに感じるのは、あなたの心が乾いたからではなく、確かめる手段が足りていないからだと思っています。 中身は、たぶんちゃんとあります。
午後の静けさが重い日は、その静けさに名前をつけるところまでで、今日は十分です。 おつかれさまでした。
疲れが深いところまで来ている方には、人生に疲れたとき、たましいは何をしているのかも添えておきます。
もし気持ちの落ち込みが長く続いていたり、朝起きるのがつらい日が重なっているようでしたら、専門の相談窓口や医療機関も頼ってくださいね。季節の話で片付けなくていいことも、たくさんあります。