今年は厄年らしい、と気づいたのが年の途中だった。 行ったほうがいいのは分かっている。分かっているのに、時間もお金も都合がつかない。
そのまま何か月か過ぎて、体調を崩したり、仕事でつまずいたりするたびに、ふと頭をよぎる。 あのとき行っておけばよかったのだろうか。
そういう引っかかりを抱えている方へ、書いています。
行けなかったことを、自分の落ち度にしなくて大丈夫です
厄払いのことで苦しくなる方には、はっきりした共通点があります。 行かなかったこと自体より、行かなかった自分をどう扱うかで消耗している、というところです。
行けば安心できたはずなのに、行かなかった。 つまり、これから起きる悪いことは自分の怠慢のせいだ。 そういう筋道が、いつのまにか頭のなかにできあがっている。
けれど、この筋道には無理があります。 悪いことが起きたら行かなかったせい、何も起きなければ運がよかっただけ。どちらに転んでも、自分を責める側にしか着地しません。それは占いの使い方としても、暮らしの整え方としても、ずいぶん割に合わないと思います。
厄年という考え方は、本来、脅すためのものではありません。 体や暮らしの変わり目にあたる年齢に、あらかじめ目印を置いておく仕組みです。目印は、そこに気をつけて通ってねという合図であって、通行止めの札ではありません。
鑑定師としての見立て
先に正直なところを申し上げておくと、厄年と厄払いという習わしは、わたしが学んできた帝王学陰陽五行の巡りの見方とは、別のところから来ているものです。ですから、厄払いに行かないとこの巡りが悪くなる、というような話にはなりません。ここでは、そこを混ぜずにお話しします。
そのうえで、わたしがこの習わしに意味を感じるのは、区切りをつくる働きのほうです。
宿命鑑定では、巡りに外へ開いていく季節と、内にこもって整える季節があると考えます。そして、心が揺れやすい時期の過ごし方として昔から言われていることのなかに、ご先祖を思うこと、手を合わせること、体を整えること、というものがあります。 これは神仏に取引を持ちかける行為ではなく、自分の姿勢をいったん正すための所作だと捉えています。
わたしは、こういう所作を、文章に打つ句読点のようなものだと思っています。 句読点は、意味そのものを変えません。けれど、点がないと、どこまでがひとつのまとまりなのか分からなくなって、読んでいる本人が息継ぎできなくなります。 参拝も、厄払いも、お墓参りも、暮らしという長い一文に点を打つ行為です。ここまでが去年、ここからが今年。ここで一度、姿勢を正します。そういう区切りです。
そう考えると、大事なのは、その点を打てたかどうかであって、どこで打ったかではありません。 社殿に上がらなければ点が打てない、ということはありません。行けるなら行けばいいし、行けないなら別の形で打てます。
そしてもうひとつ。 行かなかった年に何か起きたとしても、それは罰ではありません。人生には、点を打っても打たなくても起きることが、普通にあります。起きたことの原因を全部自分の行いに結びつけると、責任感の強い人ほど際限なく苦しくなります。
厄払いに行かないほうがいいのか、というご質問への答えとしては、行かないという選択そのものに問題はありません、ということになります。 ただ、区切りをつけないまま一年を通り抜けるのは、少しもったいない。整えるのは、行き先ではなく、自分の側だからです。
同じ生まれの人でも、環境や生き方によって歩む道は変わります。当たり外れを確かめるためではなく、いまは目印のある年を通っているのだな、というくらいの受け取り方で十分だと思っています。
今日からできる、小さな一歩
社殿に行かなくてもできる、区切りの打ち方を置いておきます。ひとつだけで十分です。
- 玄関か、いちばんよく通る場所を、五分だけ拭く。特別な道具は要りません。通り道が整うと、姿勢のほうが先に変わります
- 去年から手をつけていないものを、ひとつだけ手放す。捨てるのが惜しければ、譲る、しまう、写真に撮っておく。どれでも区切りになります
- 行けなかったことへの引け目を、紙に一行書いて、そこで終わりにする。書いたら、その紙は今日のうちに処分します。持ち越さないのが目的です
- 手を合わせる先を、ひとつ思い浮かべる。お墓でも、亡くなった方でも、これまで支えてくれた人でもかまいません。場所より、向ける先があることのほうが効きます
- どうしても行きたいなら、日付だけ先に決める。今日は決めるところまでで終わりにして、あとは寝てしまいましょう
全部やろうとしなくて大丈夫です。ひとつ打てば、それで点は打てています。
おわりに
行かなかった年を、失敗した年として数える必要はありません。 点は、いつ打っても、あなたの側が決められます。
今年がもう半分過ぎていても、ここから打ち直せます。 今日のところは、そう思えたところまでで十分です。
うまく回らない時期そのものの過ごし方は、なんだかうまくいかない時期の過ごし方——心が揺れやすい「巡り」の話にまとめています。
もし体調のすぐれない日や気持ちの落ち込みが続いているようでしたら、専門の相談窓口や医療機関も頼ってくださいね。厄の話にせずに、そのまま診てもらっていいことも多いです。